トップ 検索

すえおばあちゃんの徒然草

我が家のおばあちゃん。名前はすえ。大正15年生まれ。 喜寿を迎えたのを契機に、PCに挑戦。 そんなスエおばあちゃんが、気まぐれに、つれづれに、日常の出来事や風景、またその中で感じたことを書いています。

  差別といじめ Date: 2004-08-29 (Sun) 
其の四十六
私の障害者としての子供時代。
遠足の日、低学年から順番にリュックサックを背負った生徒が、嬉々として出て行った。其の様子をガランとした教室の窓からじっと眺めている私。誰もいない教室で一人ぼっちで自習をしていた、小使さん〔用務員〕が入ってきて「もう帰ってもいいよ」と声をかけてくれた。家に帰れば妹たちの持っていった弁当のまき寿司が私の分も作ってあった。同級生や仲間とは、自分だけ違うんだ同じ事が出来ない悲しさ、寂しさで私の胸ははちきれそうだった、涙もだせず、言葉もだせず、我慢するしかないんだ。
運動会の日、真っ白の体操服、紅白の襷、運動タビ履いて、服装だけは皆といつしょ。自分の学年の出番になれば、筵の上に私一人がポツンと残され、この寂しさも、お遊戯の時だけは、走らなくてもいいから、皆といっしょで、嬉しくなって救われた。
遠足だって、運動会だって皆と同じように楽しめず、お弁当食べるだけの楽しみで
いつも、じっと我慢の子であった。
私たちの子供時代は男児、女児の教室は別だった。社会〔地理〕の時間に、準備当番で、男子教室に地図の掛け軸を借りに、いつた時、男子生徒の一人が
「ちんばが、きよった、ちんば、ちんば゛」
と大きな声で囃し立てた、皆が一斉に大爆笑、そばにいた担任の先生、一言も注意する事無く何にも言われなかった。歯をくいしばり、じっと我慢するしかない、このときの辱め私の悲しさ、悔しさ、どれほどの、ものか、解るだろうか。八十歳にとどくこの歳になっても忘れない、忘れられない。
又私の歩き様を真似しながら「オイチニ、オイチニ」と囃しながら、後ろから、ついてきた。今の子供はこんな残酷な事はしないから、嘘のようだけど本当のことである。こんないじめは日常茶はんじ。小さな心はボロボロになる程に痛めつけられた。
こんな自分の体験を他人に話す事などは、とても出来うるものでない、心に秘めたまま生涯を終えると思い込んでいた私。いまは、ひとごとのように淡々とありのままを語れる自分が不思議に思えるほど強くなつたんだ。目にみえない導きか、偉大な力の計らいを感じる。周りの人やたくさんの人に支えられて、今生かされている私。差別とか、いじめとか、私の心に記録する場所があったなら、あいた場所がないほどに沢山体験させられてきた。
差別やいじめは簡単にはなくならない事、時代がかわり、態度や言葉は、かわつても、まだまだ、延延とつづくだろう。これが無くなれば愛のエネルギー満ち溢れパラダイムの世がくるだろう。差別、いじめの体験者の昔話。

[前頁]  [次頁]


【管理】